研修会の報告(平成16年度学校図書館夏季研修会)

読書
読書感想文
読書感想文審査



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時:平成16年8月9日 (月)

於:玉湯町立大谷小学校

 今年度、第50回 青少年読書感想文島根県コンクールの審査を担当して下さる、八束郡の先生方を対象に研修会を実施しました。


 1.研修内容

   講話と演習 「読書感想文の指導と審査」

          ……子ども達が本を読むことの意味
          ……子ども達にとって読書感想文を書く意味
          ……読書感想文指導のポイント
          ……読書感想文審査のポイント

 2.講 師 島根県学校図書館協議会 会長

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 当日は、約2時間、約40名の方が参加して研修を積んで下さいました。本当にありがとうございました。

 話した内容の概要をここに掲載させていただきます。


前置き(最近の子ども読書活動・音声言語の指導をめぐって)
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1.新聞の記事(15.7.23)から


 文化審議会国語分科会の読書活動小委員会は、学校の教育課程に「読書の時間」を位置づけ、必修とすることなどを提言しました。

   (^^)/ 新聞の記事から

 国を挙げて、「子ども達の読書活動」をサポートしようという、とてもありがたい嬉しい動きです。

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2.伝え合う力の育成


 現行の学習指導要領から、「伝え合う力の育成」という言葉が打ち出されました。以前は、国語科においては、音声言語の指導として、「聞く」「話す」「話し合う」と呼ばれていました。

 端的に言うと、「相手の立場に立って、・・・」という部分がクローズアップされたと言えます。

ο相手の立場に立って聞く。
ο相手の立場に立って話す。
ο相手の立場に立って話し合う。

 先日から、私の身の回りでトラブルが起こっています。このトラブルは、「伝え合う」ということに関連してしているケースだと思います。
 お互いが同じことを言っておられます。「相手は自己主張するだけで、私の気持ちを分かってくれない」、「言い訳や言い逃れが多すぎる」。

 「伝え合う力」を育てると言うことは、「相手を尊重する」、「相手の気持ちにまずは耳を傾ける」、「理解しようと努める」、……そういう「心」が大事なように思っています。

 そういう意味で、この「伝え合う力の育成」は、児童生徒に指導すると言うよりは、「教師自身(自分自身)もともに学ぶ」という色合いがとても大きい分野だと思います。

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3.「内言」を操作する力


 さて、今回は私が一方的に皆さんに「伝える」というケースです。聞かれる皆さんは、(本気で正確に聞き取ろうとすると、)たいへんな労力です。

 今日は殊の外暑い日でもあります。私がお話することをすべて、正確に聞かれる必要はありません。気楽な気持ちで聞き流しをされながら、ご自身のこれまでの体験と関わったり、ふっと気になる部分があったら、時々本気で聞かれたらいいと思います。

 正確に聞くよりか、今後に生かせる何か一つでも二つでも、心の琴線に止まることがあれば幸いに思います。

 ところで、私は今、皆さんに向かって話しています。「話す」という行為は何十年もやって来ていますので、なんてことはないように思いがちです。

 が、人前でまとまった話(スピーチ)をするということは、実に高度な人間的行為です。この高度な頭脳作業は、「内言(自分内対話)の操作」と深い関わりがあります。

    (^^)/ 内言を鍛える

     (詳細はここをクリックして下さい)



 この「人前でまとまった話をする」ということと、「文章を書く」こととは、頭脳の同じ回路を使っているようです。自分の頭の中で、どれだけきちんと「内言」を操作できるか? この部分で一緒です。

 「内言」を操作する力を付ける学習方法は、特に次の3つが一般的には挙げられています。

@ 作文 ……えんぴつが外言、頭の中の独り言が内言。

A 視写 ……文章の保持能力を鍛えます。

B 音読・朗読 ……音読の方法は、今読んでいるその前を目は追っていること。アナウンサーの読み方。

 とりわけ、「暗唱」は、内言を鍛えるのみならず、国語学力をごっそり引き上げる底力を持っています。

 古来から、日本では名文の素読・暗唱が学問の王道でした。ユダヤ人はユダヤ教典を暗唱し、ドイツ人は民話50選を暗唱し、フランス人は古典の詩歌を暗唱し、その学習を通して、言葉と心をごっそり獲得しています。

 最近、ぼけや失禁、徘徊で悩んでいる方が、音読・単純な計算の繰り返しで回復する。そういう事例が報告され、注目を集めています。

 このことについては、「川島隆太」先生(東北大学教授)の著書(『脳を鍛える大人の音読ドリル』等)の中で、具体的事例が紹介されています。

    
(^^)/ 音読・朗読は「こくご教育」の命

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読書をめぐって(読書の意義)
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4.児童文学作家、あさのあつこさんの話


 さて、話を本題の「読書の意義」に移します。

 児童文学作家で、「あさのあつこ」さんという方がおられます。島根県高等学校図書館研究会が発行しておられる機関誌に、この方の講演記録が掲載されています。

 絵本の読み聞かせが、非行少年を立ち直らせた。そういう実話の紹介です。読書の意義を考える時、とても興味深い内容です。


 私は少年院の子どもたちの感想文を審査する仕事をしていました。このとき少年院の先生がおっしゃいました、

 「ここに来る子どもたちは言葉を信じていないんです。言葉は自分の感情を伝えられるということも相手の感情を受け取ることができるものだということも信じていないのです。言葉は記号か、あるいは自分たちを傷つける凶器に過ぎないと思っています。」

 20年前のことなのですが、少年院ではまず絵本の読み聴かせからはじめるそうです。言葉はこういうふうにものごとを表せるものなんだということを一から教えます。

 それから子どもたちは自分で本を読みます。少年院の中にある図書館は充実しているそうです。読み聴かせや読書をさせ、そして子どもたちに文を書かせます。それをくり返すのです。

 最初は「僕は人を殴ってケガをさせてここに来ました。悪かったと思います。」というような数行の文しか書けないのですが、子どもたちが少しずつ言葉を獲得して表現していくようになります。

 すると、特に母親に対しての場合が多いのですが恨み辛みの言葉が洪水のごとく出てくるのです。

 「朝ご飯に一度でいいから温かいみそ汁を飲んでみたかった。」

 「お母さんは一度もお弁当を作ってくれなかった。」

 「先生にあの時犯人にされて悔しかった」。

 このような心にたまった恨み辛みを言葉で書くことによって明文化して、自分を見つめていくわけです。

 たいてい子どもたちは最後には「お母さんの側に帰りたい。待っていてくれますか。」というような愛されたいという渇望が出てくるそうです。

 このように心の奥底にある本当の思いにたどり着いたとき、もうこの子どもは人間として崩れることはありません。再犯の可能性は低くなるということです。 

                       _(._.)_ 以上、引用文です。
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 読書と作文、この繰り返しの中で自分を取り戻した事例ではないでしょうか?

 活字離れは、言葉の思考を低下させます。直感あって思考なし、……待てよ、と立ち止まることがありません。したがって、行動は衝動的で短絡的になります。

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4.あさのあつこさんと、『バッテリー』


第34回全国学校図書館研究大会
児童文学「バッテリー」の作者招く


 先日、「全国学校図書館研究大会(びわこ・くさつ大会)」があり、参加しました。その中で、「あさのあつこ」さんと中学生約10人とが、『バッテリー』(あさのあつこさん:著)をめぐって意見交換するという企画が設定されていました。

 作者と読者とが、物語をめぐって感想を述べ合う。実に興味深い話し合いでした。特に、登場人物の巧・豪・青波をめぐって、率直な意見が交換されました。

 恋人にするには巧、友達なら豪、結婚するなら青波。あさのさんは、息子にするなら、だんぜん青波とか、・・・。読者からの反響も青波が多いとかで、来年1月、第6巻(完結編)を発行したら、今度は描ききれていない「青波」を主人公に、小説を考えておられるそうです。

 それにしても、女性であるあさのさんが、少年期の「心」を実にリアルに描いておられることに驚きます。まさに登場人物一人一人、生きて血が通っています。

 しかも、あさのさんは野球の体験がないどころか、小説を書くに当たって(野球に関して)特別の指南も受けておられないとか、・・・。描写の巧みさを思う時、驚きをはるかに超えています。これぞ、プロの小説家! ……改めて、『バッテリー』の表現力を吟味したほどです。

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読書感想文をめぐって(感想文の持つ意義)
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5.『浦島太郎』をめぐって ……物語から受けるメッセージは、どうやって生み出されるのか?


 昨年、平田市立東小学校の田中靖子校長先生が、一つの絵本を世に送り出されました。

 東小学校の校区に、『浦島太郎』の物語が残されていました。残されているとは言っても、ごく簡単なあらすじでしかありません。ところが、内容が少し独特な部分が見当たりました。

 例えば、カメは子ども達にいじめられているのではなく、ほしぇほしぇ虫がくっついて苦しんでいたこと、玉手箱の中から出てきたのは一本の髪の毛だったこと、今も浦島太郎の家の跡があること。

 田中先生は、この話を元に、子ども向けの絵本に仕立てられました。こういう場合、「再話」と呼ぶんだそうです。縁あって、私は第一稿から最終稿までの苦労の跡を拝見することができました。参考になることがいくつもありました。

 第一稿から書き直されたところがいくつかあります。

 文章表現上の一言一句は、それはもう数限りなくあります。助詞一つにしても、推敲に推敲を重ねておられます。ここで話題にしたいのは、ストーリーの展開です。

 例えば、初稿では、「浦島太郎が子ども達に釣った魚をご褒美に与えると、子ども達は喜んで帰っていった」となっていました。が、田中先生はこの部分にとても違和感を感じられ、手直しされました。

 東小の子ども達は、そんな情けのない子ではない。思いやりのある子であるし、またそうあってほしい。

 そこで、どう変更されたかというと、「魚をもらった子ども達は喜んだが、その後が心配だった。浦島太郎がカメに付いた虫を取り、元気になったカメを海に帰してやったことを見届けて、やっと安心して大喜びで家路についた」と、こうなったんです。

 浦島太郎が竜宮城から帰る決心をします。せっかく美しい乙姫さんに好かれ、楽しい日々を送っていたのに、なぜあえて帰る決心をしたのか? そこでずいぶん悩まれました。
 結論的には、「親思いの優しい浦島太郎」のなせる当然の行動。そういうところに落ち着きました。その視点から、数カ所を書き直されました。

 他にも、こういうポイントになる部分がいくつかあるんですが、できあがった『浦島太郎』を読むと、じわ〜っと「人の心の温かさ」が伝わってきます。

 作者は、別に主題を盛り込もうと思っていなくても、日頃の作者の生き様、ものの見方・考え方が自然ににじみ出てくるものだなぁと、再確認しました。

 この絵本は、会話部分が「出雲弁」になっています。朗読CDも付いています。ポルトガル語に翻訳もしてあります。ぜひ書店で求めてください。

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7.『浦島太郎』 (その二) ……物語はどうやって生まれるのか?


 一昨年夏、横浜市を会場に、全国学校図書館研究大会が開催されました。

 私は、物語を生み出す作家の方がどういう思いでストーリーを書いておられるのかなど、興味津々でしたので、そういう講義を3本選んで聴きました。

 なかでも印象深かったのは、斉藤洋さんの話です。実に興味深く聴きました。たまたまここでも、『浦島太郎』の話も話題になりました。ざっと、以下のような内容でした。

 『桃太郎』のストーリーは、どこに伝わる話もワンパターン。だが、この『浦島太郎』は、全国各地にいろいろなバリエーションを持って語り継がれている。

 ところで、『浦島太郎』の主題は何だと思われますか?(記述しかねますので、ここでは省略します。)

 あのカメさんは、門番・学校の先生・高官のどれでしょう? 自分は「高官」だと考える。なぜなら乙姫さんが、わざわざお礼に招待するくらいだから、門番のはずがない。

 では、乙姫さんは、どうして「玉手箱」をお土産に持たせたのか? しかも、一瞬にして老人になる煙が入っている。よほど浦島太郎に好意を寄せ、帰ってほしくなかったのではないか? 帰ることが許せなかったのではないか?

 では、あのカメさん。せっかく命を助けてもらったのだから、あの玉手箱の仕掛けを話して聞かせるとか、送っていく途中でわざと落とすとか、なぜしなかったのか?

 カメは高官なのだから、玉手箱の正体を知らないはずがない。きっと、カメは乙姫さんに好意を抱いている。だから浦島太郎に嫉妬したに違いない。

 ……と、まぁ、こんな論理の展開で、(斎藤さんの説によると、)結局この物語の主題は、「εεεεεε」というところに落ち着くというわけです。



 ところで、作家(斉藤さん)は、こういうことを教えてやろうとか、考えてほしいとか、そんなことを考えて物語を構想したり書いたりはしていない。売れてくれることが一番。そのためには、面白くないと話にならない。

 だから、自分が書いた物語の主題は? などとまことしやかに、真剣に話し合われると困ってしまう。

 ただし、日ごろから自分には人生観、価値観というものがある。作品の中に無意識にそう言う思いや願いが盛り込まれてしまうことはある。

 そんな内容のお話でした。

 先ほどの、田中靖子先生のエピソードとダブるところがあります。



 なお、草津市での「全国学校図書館研究大会」で高木敏子さん(作家)の講演を聴きました。『ガラスのうさぎ』に関わる内容でした。時間を40分も延長されるほどの熱弁でした。

 高木さんは、この本の中で「戦争の恐ろしさ・悲惨さ」を全身全霊をかけて訴えておられます。主題は明白です。読者は、この熱い思いや願いをしっかりと受け止めなくては、『ガラスのうさぎ』を読んだことになりません。

 蛇足ですが、この研究大会で、絵本作家「武田美穂さん」(『となりのせきのますだくん』など)の対談も聴きました。これまた興味深い内容でした。

 時にはK社の担当者の方とビールを飲みながら構想を練り、修正に修正を重ね、世に本が送り出されるまでには、それはそれは膨大な時間と労力を費やされるとか、・・・。「束見本」という、絵本ができあがっていく過程の試作品も見せてもらいました。

 言葉の一つ一つ、絵の細部に至るまで、再考に再考を重ねて、やっと書店に並ぶんだという、その苦労の一端を知りました。

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6.「絵本の読み聞かせ」から、自分で読む「黙読」の世界へ


 ストリーテリングという方法が試みられています。

 私は4年前、初めて本物に接しました。『三枚のお札』というお話を、トムテ(事務局=瑞穂町立図書館)の方が、ストリーテリングでされました。

 物語の内容は、全く涙が出るような話ではありませんでした。なのに、思いがけず聞きながら涙が浮かんで仕方がありませんでした。

 事後、職員室で涙のわけを話題にしました。すると、ある先生が「それはきっと、幼いときに誰かから昔話を聞いて育ったとか、・・・」と言われました。

 はっと気が付きました。毎晩、寝床で祖母が昔話を語ってくれていました。その幼児体験を体がしっかり覚えていたんです。祖母は2年前に他界しました。私に大きな宝物を残して、・・・。

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 話変わって、小学校4年生の時、私は加藤忍三先生に担任していただきました。

 加藤先生は、読み聞かせ(朗読)を実に沢山して下さいました。中でも、『レ・ミゼラブル』は、私に大きな影響を与えました。以後、この本は幾度となく読んでいます。『ああ無情』、『ジャンバルジャン物語』、『少女コゼット』などと、題名もいろいろです。

 読むたび新たな感動があります。落ち込んだり悩んだりしたとき、この本を読むと不思議と元気が湧いてきます。

 それにしても、マンガどっぷりの私に、読書の世界を与えて下さったのは、加藤先生だと信じています。今でも、感謝の気持ちでいっぱいです。


 絵本の読み聞かせから卒業したら、子どもはどこに向かうのか? わが子の経験から言うと、「マンガ」でした。3人のうち一人は、今では読書の虫ですが、いずれにしても「マンガ」でした。

 でも、絵本の延長線上には「マンガ」があって不思議ではないかな? という思いがしています。「絵本の読み聞かせ」と「黙読」との間には、かなりのハードルが存在しているように思います。

 それを埋めてくれるのが、ストーリーテリングであり、また、加藤先生のような「朗読」であるのかな、・・・と。

 じっと音声言語で語られるストーリーに耳をすます。頼りになるのは「ことば」だけ。その言葉を聞きながら、自分の脳裏にさまざまな画面を展開します。登場人物の心を想像します。

 この積み重ねが、やがては「言葉」だけの世界で物語を楽しむ、楽しめる。そういう頭脳の回路ができあがるのではないか。黙読に絶えられる自分が生まれてくるのではないか。そう思っています。 

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7.読書の記録を残すことの意味 


 本を読んで、その時に考えたり感じたりしたことを文字の形で残す。実に大事なことだと思っています。

 (^^)/ 山本博之君(松江四中)の話

 今年発行した読書感想文集、『あをの』の巻頭に書かせていただいた内容を紹介します。

 (^^)/ 考える読書を重ねることの意味

 阿須那中学校に勤務していたときに出会った、Mさんの話を紹介します。

 (^^)/ 読書ノートを頑張って国語力をグンと伸ばした生徒

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読書感想文の審査をめぐって
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8.読書感想文審査の実際 ……演習


 審査員自身にもこれまで生きてきた人生があります。人生観や価値観があります。そこに、読書感想文を審査することの難しさがあります。感想文を読む人によって、評価が微妙に違ってくることは避けられません。

 でも、共通して言えることがあります。優れた感想文は、読書しながらもそこに自分を読んでいること。自分を読み込んでいること。

 本と自分の対話があること。心の底から語り合っていること。

 その読書感想文を読みながら、審査員の自分自身が考えさせられたり、教えられたりと言うこともあります。

 この子は、この本に出会って本当によかった! そういう思いを深くさせてもらう感想文も、例外なく優れています。

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 それにしても、感想文の中には、読んだことがない本があるのは避けられません。読んだ本は、文学作品もあれば、解説文あり、説明文あり、・・・。

 審査するときには、さまざまなジャンルの本で書かれた感想文を審査します。それらを一つの土俵の中で評価しないといけないのです。

 実に気骨の折れる、難しい作業だと思います。

 一つの本でも、読む人によって評価は千差万別に分かれます。まして、その本で書かれた感想文ということになると、審査員にとって評価が分かれるのはやむを得ないと思われます。

 各部門別に、3人の審査員の先生がおられます。感想文審査で評価が分かれた時、それが研修の場だ。そういう考え方でいいと思います。お互いに意見を述べ合って、最終的に賞を決めてください。

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9.読書感想文としておもしろみのないもの


@ 一般論 ……「だから、戦争のない世の中にしていきましょう」。

A 作品解説 ……自分が出ていない。生活実感に裏付けられていない。

B 決意表明 ……「ぼくはこれから、約束を守ります」。

C 本の内容に即してない ……生活作文としては優れている場合もある。

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10.読書感想文審査で留意すること


@ 作品解説の丸写し ……どうしても引用したい場合には、引用箇所が分かるようにしてあること。

A 盗作 ……基本的には、直接の指導者に責任があるといわざるを得ない。県審査では、信じて審査するしかない。

B 差別表現 ……審査の段階で、十分留意してほしい。

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【補足】

@
 私自身、こういう経験があります。高校時代、毎月一冊「岩波新書」が配布され、月末に原稿用紙2枚、感想文を書く課題が与えられていました。とてもそんな本を読むようなゆとりのない日々を過ごしていました。いきおい本の巻末の解説を上手に引用していました。先生も、特に何も言われませんでした。案外読んでもらっていなかったのかも知れません。
 実際に本を読んでいなくても、こんな方法で「感想文」を書くことはできます。でも、こういう感想文は当然価値がありません。審査の際には、ぜひ見破りたいものです。

A
 苦い経験があります。親戚の高校3年生が、夏休みも押し詰まった時にやってきて、「まだ感想文ができていない。アドバイスを!」と頼むので、手元にあった「読書感想文集」を貸してやりました。「今からなら、例えば芥川龍之介の作品など、短編がいいだろう」、「読書感想文集の中からそういう作品を選んで読み、感想文を書く際の参考にしてほしい」。
 それから3週間、突然電話がありました。自分の感想文が校内で賞に入ったとのこと。ところが、そこからが問題。何と、私の貸した読書感想文集から、ほとんど丸写ししたとか、・・・! 愕然としました。その後どうなったか、怖くて聞いてもいません。
 こういうケースは、学校でしっかり見抜いてもらうしか手がありません。県審査に出てきた作品は、本人が書いたと信じて審査するしかありません。

 一方、こんな本は発行してほしくないなぁというものが書店に並んでいます。発行所には申し訳ありませんが、

    『2004年度課題図書対応「これできみも読書感想文の名人だ」』(三省堂発行)

 あまりに具体的すぎるのです。その本の概要、感想文を書く時のポイント、目の付け所、ヒントなどがつぶさに書かれています。審査の際、(この本を読んでいない限り、)参考にして書いたかどうかまではチェックしきれません。ニーズがあるかどうかは別にして、全く困った本ではあります。

 小学校低学年における読書感想文の場合も、担任の先生の指導によっては、本人の色がなくなってしまうケースもあるようです。これも、県審査で見抜くのは至難の業です。よほど不審を抱かれた場合は、審査員の先生で協議してください。

B 
 実際ありました。審査委員長さんから相談がありました。
 「知的障害は遺伝する」という内容などを含んでいる作品でした。感想文全体を読むと、問題ないようには思いました。また、実際の本を読んでみると、そういうふうに読まれても仕方ないような記述の仕方でもありました。
 でも、これが『あをの』として世に出された後に指摘を受け、大きな問題になったらたいへんです。せっかくのいい作品も台無しになってしまいます。さっそく、該当の学校に電話をし、校長先生に手直しをお願いしました。この時には、前向きに検討していただき、本人の了解を得て、問題箇所を書き直していただきました。
 今回の審査で、こういう場に遭遇された時には、審査委員長さんに相談してください。よろしくお願いします。



m(_ _)m
以上は、お話したこと全部を記載していません。
要約したり省略したりした部分もあります。
実際と少し変えたところもあります。
ご了解下さい。



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(*^_^*) 生涯学習の重要性が認識されています。受験が終われば勉強は終わり、では本物の学習とは言えません。

 学校を卒業しても、先生が付いていなくても、自らの意思と力で学び続ける。 ……それを支える基盤となるのは、「読書の習慣」と、確かな「読解力」だと思います。

 ともに力を合わせ、知恵を寄せ合って、学校図書館を活性化するとともに、児童生徒が読書に向かうよう頑張っていきましょう。


 


「読書感想文の書き方」