土曜日の朝(アメリカでは毎週休み)、娘から「古代ローマの人々がどんな住居に住んでいたか、レポートを出すので、図書館に連れていって」と突然言われました。
まだ車の免許証を持っていない、中学生の娘を連れて、主人も一緒に親子3人で図書館に行きます。
資料探しをしている娘を待っている間、主人はあらゆる新聞の揃っているコーナーで、のんびりと新聞に目を通しております。私は料理の本を出してきて、サンクスギビング(感謝祭)のパーティーにお呼びするお客さんへのメニューの、レセピー探しをしております。
この様に週末のアメリカの町立図書館には小学生から高校生まで、アサイメント(assignment問題)の資料探しの生徒とアッシー君がわりの父母のいる情景は、もっとも典型的なアメリカの生活の姿です。
アメリカの教育と日本の教育の違いを指摘して欲しいと頼まれたら、即座に日本は詰込み暗記式教育であり、アメリカは文献研究式教育と答えています。
早くもアメリカの小学校の3年生になると、図書館を利用する宿題が出るようになります。
宿題は主に社会科が多く、例えばヨーロッパの5カ国の中から、自分が問題に取上げたい国を選び、2週間程かけて、レポ−トを仕上なければなりません。次の月はアジアから1カ国選んで提出し、その次は中東から1カ国と続きます。
先生はこの社会科のプロジェクトを始める前に、レポートの書き方を懇切丁寧に児童に教えます。
例えば、目次の作り方、アメリカからの位置、気候、風土、習慣、食生活、衣生活及び最後は参考文献を書く事までの項目に沿って、15ページほどの小誌にし、レポートとしてまとめさせる指導をします。
子供たちはその時に初めて、百科事典の調べ方を教わり、図書館のどの辺の欄へ行くと、他国の資料が探せるかを学んだりします。この時に図書館にはとても親切な何でも指導してくれる、ライブラリアンがいる事も児童は学びます。
このレポートの為に、また時にはまるで自分がヨーロッパへでも行くかの様に、近所の旅行社へ行って「ヨーロッパ2週間の旅」などのパンフレットをもらってきて、そのパンフレットから写真などを切り取り、レポートに貼ってゆきます。
最近、古い婦人月刊雑誌が出てきたので、めくって見ると料理や着物のページに穴のあいているのを見て、3人の子供が「日本」についてのレポートを出す為に、切りきざんだ跡を発見して懐かしくなりました。
ちなみに子供たちの作ったレポートを見ますと、エジプト、エクアドル、イタリ−、アイルランド、日本等とさまざまな国を調べ作成した、3人の子供達のそれぞれの小誌があります。
思い返せば私が始めてレポ−トを書いたのは、大学に入ってからで、その時に初めて参考文献も書かなければならない事を教わった記憶があります。
アメリカの教育は小学校3年以後大学まで、このレポートに毎日追われる教育となり、このレポートは毎回提出のたびに、成績がつけられて内申書の記録として残ります。
この内申書の記録は、中学及び高校の時の記録が、大学入学の参考とされて合否の大きなウェイトを占めます。
中学生、高校生たちはこの学校から出される、毎回の研究プロジェクトには力をいれており、帰宅してからの時間はレポート作成に費やします。時には、週末も仕上げに苦労したりしております。
よく、日本の人にアメリカでは塾はないのか、との質問を受けますが、原則的には塾は無いかわりに、アメリカの生徒はこの様な宿題に時間を当てています。
最近、日本から上陸したK塾などへ、日本へ帰国する方達の間では、子供を通わせている人もいるようですが、アメリカに住んでいる人には塾は「ゼロ」に等しいです。
中学に入りましたら、生徒はタイプライターあるいはコンピュータで、ちゃんとまとめたレポートでないと、先生は受理してくれなくなります。
例えば「アンネの日記」を読んで、その頃のヨーロッパについてのレポートを提出するなどと、かなり高度な内容になってきます。
中学では大学まで通用するレポートの書き方を学びます。序文・総論・各論の後に結論を述べること、参考文献の書き方、レポート作成の仕方、などを徹底して教えられます。
中学に入ると月に1題の割で、社会や英語(国語)のレポートの課題に追われ、そのために子供たちは沢山の本を読み、資料あさりをします。
クラスで先生がレポートのテーマを発表すると、子ども達は我れ先にと図書館へ行きたがります。それに付き合う親も大変です。
図書館には同じテーマの資料さがしをする友達であふれて、本が無くなるからです。こういう学校の教育法が、子供たちと図書館とのつながりを大きくし、親子で頻繁に図書館通いを促します。
高校になると、書くことによって自分の意見を述べる訓練がなされます。
例えば、ジョン・スタインベックについて何冊以上読み、それぞれの本の読後感をレポートせよとか、ウィリアム・シェクスピアの時代の階級性につて少なくとも彼の5冊の本を読んでレポートせよといった具合です。
アメリカの大学生は、中学の頃からレポート作成のために、資料探しを鍛えられています。ところが、日本からの留学生は、この辺の要領が訓練されていないため、英語以前の力不足をしきりに嘆く学生も多いです。
アメリカの大学生の文献資料の探し方のうまさ、本を破読する速さ、まとめる上手さ、気の利いた題名の付け方、なにを取っても年期が入っております。
また、変ったところでは、大学の物理、化学、などを専攻している学生は、科学レポートの書き方が必須単位となっています。
卒業までに取らなくてはなりませんが、その授業を受持つ教師は大学の教授ではなく、一流科学企業の技術部長など、会社の製品の広報に携った幹部などが、大学に来て教えます。
例えば、「技術的仕様書の書き方」、「技術企画提案書の書き方」等を指導します。これなどは、速戦的な生きた教育と感心させられます。
アメリカの大学には、「図書館学」なる独立した学問があります。そのため、大学の構内には、幾つもの図書館があります。
例えば、文科系の学部用には文科のみの6階建ほどの図書館、自然科学には自然科学のみの図書館、芸術や体育はその専門の図書館、……それぞれの科に大きな図書館が大学構内にあるのは豪華です。
私自身、高校時代は小説読みたさに、高校の図書館の小説欄は片っ端から破読しました。が、勉強の資料集めのために図書館を使った記憶はありません。
大学でも静かな所が欲しい目的で、試験期間だけ図書館を使った記憶はありますが、資料集めのために使用した記憶はありません。まことにお粗末な、恥かしい図書館利用の記憶です。
日本の学校教育では、図書館利用の宿題が出ません。だから図書館利用の記憶が、私に乏しい原因なのだと思います。根本的に、日本とアメリカの教育方法の違いを見る思いがします。
このアメリカ式教育法は、取りも直さず「学問の魅力」を知らせてくれる教育に思えます。
自分で調べる要領方法、巾の広い多角的な知識の収集法、知識の深さの魅力の発見、考える力と応用力の開発など、日本の記憶式暗記教育では得ることができません。
中学生、高校生も大学生は勿論のこと、生き生きと楽しそうに、自分のペースで学問をしている姿を見かけます。
それは取りも直さず、社会に出て応用の利く人材、即戦力のある人材育成をめざした、現実的で柔軟性のある教育といえます。
それに反し機械的に詰め込み一辺倒の日本の教育は、学問の魅力を知るチャンスを削ぎ、利用と応用をさせない暗記のみに追われた学問です。目標は、一路「受験」のため。それが日本の教育路線のように思えてくるのです。
小学校からどの学校内にも、図書館が設置されていますが、在庫本に限りがありますので、児童生徒は町立図書館をよく利用します。
お父さんなども「車の修理のし方」等の本が必要な場合には、本屋で買い求める前に図書館へ行きます。
図書貸し出しカードは、住人である証明を持って行くと、すぐに作ってくれます。
町立図書館はあらゆる本の他に、優良映画ビデオ、CDの貸し出しもしております。
また、午前中は保育児童のための人形劇などが催されたり、児童に本を読んで聞かせるプログラムなどもあります。おばあちゃんなどの引退者が奉仕活動として行っており、いろんな年齢層が図書館に出入していて、とても家庭的な雰囲気を作っております。
図書館のショーウインドーには、珍しい国の紹介展示物を飾ってあったり、民族衣装や什器などの展示物で飾っってあったり、趣味のコレクションの紹介がしてあったり、……月々飾りを変えて、地域の人々との結びつきを重んじております。
|