朝の読書

米子市立箕蚊屋小学校の実践から


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 「教育は人にあり」。いろいろな教育実践を見聞するに当たり、私はこの言葉の重みをしみじみと感じます。

 ところで、鳥取県においては、「朝の読書」実施率が群を抜いて全国一です。

 ここにご紹介する箕蚊屋小学校では、熱意あふれる先生の奔走が、学校をつき動かしていった経緯をしっかりと見て取れます。

 今一歩のところで、「朝の読書」に踏み切れない学校があったら、きっと参考になると思います。

15.12.29 倉光先生からのメールを機に、先生のホームページをまるごと観ていただきたく下記にリンクしました。

倉光信一郎 先生のホームページへリンク


         朝の読書の4原則


みんなでやる

毎日やる

好きな本でよい

ただ読むだけ
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1 朝の読書との出会いと実施

 ・出会い 平成8年9月 ・実施 平成8年9月


2 学級経営

 朝の読書を語るとき、学級経営の基本的な考え方を語らなければいけません。朝の読書の精神(哲学)は、「子どもたち一人一人を大切にし」「子どもたちと共に生きる」ということだからです。

 私が朝の読書と出会った年は、平成8年度、小学校3年生の担任をしているときでした。このとき、いかに「子どもたち一人一人を大切にし」「子どもたちと共に生きる」学級経営をしたのかまとめてみました。(左上の「一人一人を大切にした学級経営」をクリックしてご覧ください。)


3 担任として心がけてきたこと

  • 学校に来たらすぐ教室に出て子どもたちを迎える。「今日は、どんな本を読むの?」などと読書の話をし、職員の朝の打ち合わせがないときは、時間がきたら一緒に読書をする。職員の打ち合わせがある日は、全員が本を用意したのを確認してから職員室に帰る。

  • 自分のクラスの朝の読書の様子を周りの職員に話す。(職員室の話題を朝の読書にしたいという思い。)

 一担任として、全校一斉にどのようにして広げていったのかをまとめました。(左上の「全校一斉へのあゆみ」をクリックしてご覧ください。)


4 級外として心がけていること

  • 朝の読書の定着について提案していく。

  • 定着を図るために、朝の読書の時間になったら学校内を巡視する。朝の読書ができていない学級に入り、声かけをする。

  • 担任が出張等で不在のとき、クラスの児童と一緒に読書をする。


    ξ  ξ  ξ  ξ  ξ  ξ  ξ  ξ  ξ 

  • 平成12年度は毎朝職員が集まって朝の打ち合わせ(職朝)をすることになった。その前の年は月水金が職朝で、火木土が子どもたちと一緒に朝の時間を過ごせる日。ところが、忙しい毎日を過ごす中で、その火木土もなかなか教室にすぐには出られない先生方が多かった。

      そこで、火木土も職朝をする、ただし、「おはようございます。」とあいさつをして、すぐに教室に出よう、といことになった。そうすれば、全員がパッと教室に出ることができる。名案であるかのように思えたが・・・

      ところが、結果は、あいさつだけのはずが、いろいろな連絡をしてしまい、結局一昨年以上に教室に出る者が少なくなった。いや、出ることができなくなった。

      私は、児童にアンケートをとり、その結果を職員会で示した。高学年になるに従って「楽しい」と感じている児童が少なくなる事実、「おもしろくない」「読んでいるふりをしているだけ」と答える子がいるという事実を見て、これではいけないということになった。そして、「火木土に職朝があるから、子どもたちと一緒に読書ができない。」という声があがり、2学期から前の年のように火木土は職朝なしということになった。

      平成13年度もアンケートを実施した。結果は、昨年度よりよくなっている部分もあるが、全体として、「楽しい」「まあまあ楽しい」と答える子が少なくなっていた。(そのアンケート結果は、ここをご覧下さい。このアンケート結果は、箕蚊屋小学校のホームページで示すものですが、まだ公開してないので、箕蚊屋小学校の許可をとり、このホームページに載せています。)

     そして、また職員会で次の様に提案した。

    1 職朝は月曜日だけにして、あとは毎朝児童と一緒に読書をする。

    2 職員室でも朝の読書をする。


     私が声に出して言うよりアンケートの結果は説得力がある。2学期は、どの担任も教室に出て一緒に読書をするようになり、見違えるように静かに朝の読書ができるようになった。

     今、私は、担任が不在のとき「ハリーポッター」を持って教室に行き、一緒に読書をしている。私が黙って本を読んでいるだけで、話し声が全くしなくなる。10分間が終わると、私の所に寄ってきて、読んでいる「ハリーポッター」に反応し、私と話がはずむ。うれしくて仕方がない。

     朝の読書を一緒にする時間を確保することも大事だが、本当に一緒に読書するのかどうか、そして、朝の読書を通して子どもたち一人一人をどう見つめていくのか、それが最も大事なことではないかと思う。(2002年3月)

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m(_ _)m 以上は、倉光信一郎 先生の記録です。




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朝の読書全校一斉へのあゆみ


●広がる朝の読書

 鳥取県では平成12年2月現在で、朝の一斉読書を実施している小学校が、89%、中学校が77%、高校が29%となっています。

 そのうち毎日実施しているのが小学校では実施校の26%、中学校では実施校の68%、高校では実施校の70%となっています。未実施校でも今後実施する予定がある学校もいくつかあり、この数字はまだまだ上がるようです。


●朝の読書との出合い

 私が朝の読書と出合ったのは、平成8年の2学期でした。国語の研究を中心に定期的に研修をしているサークル「同行会」の仲間から「朝の読書が奇跡を生んだ」(高文研)のことを聞き、ぜひやってみたいと思いました。

 当時、米子市立啓成小学校で、3年生の担任をしていました。8時25分〜35分までの10分間は朝自習になっていましたが、私がいない時は騒がしく、なんとか私がいない時でも静かに自習ができないかと思っていました。だから、朝自習の時間にぜひこの朝の読書をやってみたいと思ったのです。


●変わっていった子供たち

 2学期から実施した朝の読書で、子供たちがどんどん変わっていきました。

 まず、子供たちは図書室を利用し、よく本を借りるようになり、本の貸し出しが学校で一番多くなりました。そして、図書室のミニ感想文の展示コーナーには、私のクラスの子供たちのでいっぱいになりました。

 そして、なんといっても朝自習の時間が静かになりました。私がいない時でも静かです。職員の朝の打ち合わせが早く終わった時、急いで教室に行ってみると、私の教室の前だけが静かだということがよくありました。


●校内での広がり@

 私のクラスの様子から、何人かの先生方が興味を示しました。そういう先生方に勧めたところ、2、3人の先生は賛同しましたが、

「毎日10分間デッサンをすればデッサン力がつくし、リコーダーをすればリコーダーが上手になる。漢字や計算だってそうです。」

と言って、今は読書より他にしたいことがあるということで、実践にはふみきれない先生もありました。


●管理職の支え@

 平成9年1月11日に、林公先生の講演を聞きました。そのすぐ後に交流会を持ち、私の実践を発表しました。その発表したものを、全職員に配布しました。

 その時、校長から、「朝自習は定着していないから、これから読書にすればいい。」という言葉を聞きました。

 教頭も朝の読書に賛成でした。その時は、私のクラス以外には3つのクラスが実施していましたが、管理職が理解を示してくれたということによって、朝の読書を全校一斉で実施したいという気持ちが強く沸いてきました。


●全校一斉の提案@

 1月17日に学年主任が集まる会があり全校で毎朝実施したいと提案しました。

 しかし、低学年から、「朝自習で漢字や計算をしたい。」高学年からは「(それでなくても忙しいのに)毎日、朝は大変だ。」という意見が出ました。その時点では説得できずに、結局「一つでも二つでも実施してくれるクラスが増えてほしい。」という提案で終わりました。


●校内での広がりA

 1月23日に日本海新聞のコラムで私のクラスの朝読のことが少し紹介されました。本を借りる量が増えたということしか書いてなかったのですが、それを校長が印刷して全職員に配ってくれました。

 私は、子供たちの朝の読書に対する感想(例えば、「読書がどんな遊びよりも好きになった」とか、「字まみれの本を読むようになった」とか)を、学級通信で親に知らせていきました。そして、その通信は全職員に配りました。子供たちの感想が、朝読のすばらしさを物語っていました。

 「こういう取り組みの成果が上がったとしても、学年が変わり、担任が変わるとまた元にもどってしまう。」という会話が職員室で聞かれました。

 そして、職員室で朝読のことがよく話題になり、実践する先生が増えてきました。五年担任のある先生は、前日まであんなにうるさかったクラスがシーンとして驚いた、ということを話してくれました。また、ある先生は、朝、廊下を歩いていたら、読書をしているクラスの前がシーンとしていて驚いた、と言っていました。


●全校一斉の提案A

 やってみてよかったという声が次々に出る中、3月3日の職員会で全校一斉(毎日)を提案しました。これまでの私の取り組みを、B5で20ページにまとめました。

 子供たちの変容では、朝の読書についての感想以外に、朝の読書によって大きく変わっていった何人かの具体例を示しました。

 例えば、「一学期は問題をよく起こしていた子が落ち着いて本を読めるようになった」とか

 「音読や読解の力から、本を読む力がかなり低いという見方をしていた子が、中学年の課題図書を時間がきたのも気づかずに夢中で読んでいた。

 しかも、この子は文章を書くのがとても苦手だったのに、三学期には物語文を読んでの初発の感想をたくさん書いて出した」とか

 「声に出して読むことも文章を書くことも苦手な子が、夢中で本を読んでいる。はじめは絵本が多かったが、科学の本まで読むようになり、しかも、読んだ感想を自分から進んで書いていた」などです。

 それをもとにした私の説明に、今実践している先生方が自分の実践しての感想を付け加えました。すると、ずっと反対していた先生から「朝自習で漢字や計算の力をつけたいと思っていた。しかし、能力差が大きく計算ができない子はその時間内に一問できるかできないかだ。

 これが読書だったらそんなことはなく、しかも、読書することによって計算力や漢字の力が伸びることになるかもしれない。」という発言がありました。ここに至って、私の提案が全員一致で賛成されました。


●説得のポイント

 朝自習で漢字や計算をすることより、読書の方がいいということを、どう理解してもらうか、そこが大きなポイントだと思います。

 私は、本なんか読んだことがなかったり嫌いだったりした子供たちが、どんな遊びよりも好きになってそれを通して心が成長していったという事実を示しました。

 読書量や図書室利用が増えたということも大事ですが、朝の読書を通して子供たちがどう成長したのかという事実を示すことが一番大事なのだと思います。


●管理職の支えA

 国語の研究グループ「同行会」の仲間の一人が平成9年の1月から自分のクラスで実践しました。まわりのクラスがにぎやかでもそのクラスだけはいつも静かに読書をしていました。

 その様子を知った校長が「来年度全校一斉でしてみようか。」ともちかけ、その先生が職員会で「朝の読書が奇跡を生んだ」の一部をコピーして提案し、賛成されました。

 その学校が今の私の勤務している米子市立箕蚊屋小学校です。平成9年度の異動で、その先生は米子市立大篠津小学校に、私がこの米子市立箕蚊屋小学校に替わりました。

 その先生が替わった米子市立大篠津小学校も、平成9年度から全校一斉で取り組んでいます。ここの校長は、朝の読書実践研究会の会員でもあり、誰よりも朝の読書に対する理解があります。

 結局、(なんでもそうですが)校長の理解と、実践する教師の熱意があれば、朝の読書は全校一斉で行うことができるのだということでしょうか。

 私の前任校の米子市立啓成小学校を含めた3校は、全校一斉(毎日)を続けて3年経ちました。3校の6年生にアンケートをとったところ、89%が「楽しい」と答えています。教師の入れ替わりがあり、共通理解が難しいのですが、もう定着したと言えるでしょう。

(「教職研修」の原稿として平成12年2月にまとめたものです。)

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m(_ _)m 以上は、倉光信一郎 先生の記録です。




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定着させる5つのポイント

m(_ _)m 以下は、米子市立河崎小学校 倉光信一郎 先生です。


1 教師と児童が共に学べる時間

 児童の読書離れの原因の一つに、全ての児童というわけではないが、家に帰ってからの習い事の多さがあるのではないかと私はずっと感じていた。

 野球、サッカー、水泳、塾で教科の勉強、習字、ピアノ・・・これにゲームをする時間が加わり、その上で学校から出された宿題をするわけで、学校が終わってから読書をする時間がとれないのも無理はない。こういう児童がいかに多いことか。

 教師とて同様である。仕事として必要な読書はそこそこすることはあっても、趣味の読書となると、忙しくてなかなかできていないのではないだろうか。

 そういう児童と教師に、共に学べる場として登場したのが朝の読書である。

 「毎日」「みんなで」「好きな本を」「ただ読むだけ」でいい。シーンとした時間に、ページをめくる音だけが聞こえてくる。

 本によって、児童も教師も共に学んでいく。教え、教えられる時間ではない。共に学び成長する時間である。「共に生きる時間」とも言うことができる。



2 定着のための五つのポイント

 定着のための最も重要なことは、「子どもたちを愛すること」である。そしてそれは、「一人一人を大切にすること」に置き換えられる。当たり前すぎて殊更書き上げる必要もないことではあるが、まずはこのことを確認しておきたい。

 さて、具体的な定着のポイントとして、私は、小学校での経験をもとに、以下の5つを挙げたい。

(平成11年度の米子市の3つの小学校の六年生131名を対象に行ったアンケート結果をもとに考察している。その3つの小学校は、平成9年度から全校一斉で毎日朝の読書を行っている。)


@学級文庫を充実させる

 アンケート結果からも分かるように小学校の場合、本を手に入れる場所は、学校の図書館と学級文庫が最も多い。これが中学・高校となると、学校の図書館と本屋さん(購入)ということになろうか。

 ここで問題にしたいのが、学級文庫の充実ということである。

 後で述べるポイントとも関連するが、児童は毎日朝の読書の時間がきたらサッと本を用意できているかといったら、そうではない。なかなか用意できないのが現状である。

 朝のうちに図書館に行って本を借りてくるわけにもいかず、どうしても学級文庫の本を読むということになってしまう。そこで、学級文庫にどれだけ本が置いてあるのかということが朝の読書の定着に大きくかかわってくる。

 私は、これまでに個人的に買い集めていた短編の読書用の本を並べ、ブックオフで買ってきた本や、我が子に買い与えていた本を持ってきて教室に並べた。

 そして、児童に自分が読んでおもしろかったという本を持ってこさせ、それらも並べた。学級文庫から本を選びたい児童に、できるだけたくさんの本を選べる環境にすることが大事だと考える。



A好きな本を読ませる

 以前、「私が読んでほしいとは思わない本を読んでいて困ってしまいます。」というようなことを聞いたことがあった。そういう先生には「子どもたちが読みたい本と教師や親が読ませたい本とは違う。

 子どもたちが自分で読みたい本を選んで読んでいくうちに、教師や親が読ませたい本にも必ず出会うことになる。だから、心配はいらない。」ということを話してきた。

 低学年では、親や教師が勧める本を読むことが多いと思うが、高学年になるにしたがって、自分で本を選ぶようになり、口コミで広がっていくことが多い。そういった本は、教師や親が読ませたい本ではないことが多い。

 「おもしろい本がないから読書がおもしろくない。」という児童の声があるのも事実である。

 自分のクラスのどの子がどんな本をおもしろいと思うのか、教師はそれをキャッチし、学級文庫に置くとか、図書館で見つけてそれを紹介してやるといった努力も必要である。



B時間がきたらすぐに本を読み始める

 たかだか10分間ではあるが、5日間では50分という時間の読書になる。この時間を確保している学級とそうでない学級とでは、定着の様子が大きく違ってくる。

 「低学年は、10分間の読書はできません。」と言われる担任の学級に出て驚いたことがある。朝の読書の時間が始まってから、児童の殆どが学級文庫の前に並んで本を選び始めたのだ。

 選ぶのが遅い子が本を手にして読み始めたのは、もう朝の読書の時間が終わろうとしている時だった。10分間集中して読むのは難しいからという担任の配慮だと思う。

 しかし、これはやり方が間違っていた。児童の実態に合わせて7分や、8分になるときがあってもいい。けれども、全員が本を手にして、朝の読書の時間になったらすぐに読み始めるべきである。

 私は、「今日はどんな本を読む?」「今、どんな本を読んでいる?」と聞き、朝の読書の前に必ず全員が机の上に本を置くのを確認したものだった。

 平成11年度のアンケートでは「毎日必ず本を用意して、朝の読書が始まったらすぐに読み出す」と応えたのは54パーセントしかなかった。

 中学・高校では、自分で持ってきた(買ってきた)本を読むので、こういうことはないだろう。全員が本を用意できるように、私のような声かけや、前の日に机の上に本を置いて帰るとか、次の日に読む本を袋に入れて机の横にかけておくなど、朝の読書の時間が始まったらすぐに読み始める工夫が必要である。



C教師が一緒に読む

 参観日の公開授業の前の10分間、読書の様子を公開したことがある。それを見たある保護者に、「感動しました。子どもたちと一緒に本を読んでいた先生がかっこよかった。」と言われた。

 以前なら、指導もせずに読書にふけっている教師の姿は非難されるものであったはずだ。それが、「かっこいい」とまで言われる。朝の読書の時間に読書をしている教師は、児童と同じ空間で共に学んでいるのだ。

 その保護者は、理屈ではなく、そういう雰囲気を感じてくれたのだと思う。これまでの学校教育では全く見られなかった風景なのだ。

 今年、一年生と一緒に図書室で読書をしたことがあった。児童は、次々に自分の読んでいる本を私に見せたくて私のそばにやってくる。私は、自分の読書を中断して、児童の声に耳を傾けた。

 児童の話が終わるとすぐに本に目を向けた。「先生、何読んでいるの?」そういう質問にはしっかり答え「その続きはこれから読むんだよ。」と言ってすぐにまた本に目を向けた。

 これを繰り返しているうちに、児童はだんだん私のところに来なくなった。そして、自分たちも静かに読書をするようになった。一緒に読むということが、それだけで無言の教育になっている。

 私が担任をしているとき、教室で一緒に本を読んでいると、子どもたちは私がどんな本を読んでいるのか聞きたがった。私は、初めのうちは自分の好きな本を読んでいたが、そのうちに児童文学や絵本を読むようになった。

 そして、今読んでいる本やすでに読み終わった本のおもしろいところを話し、読み終わった本は学級文庫に置いた。

 私が読んでいた本は、いつも誰かが読んでいた。一緒に読むことが、何よりの読書紹介となった。

 児童と一緒に読むにこしたことはない。しかし、本を読もうとしない子が教室にいるのなら、そういう子にかかわることがまず先決である。

 私は、本を読もうとしない子には、「これ、読んでみないか?」と本を勧めた。「まんが日本昔話」のような本も持ってきたし、幼稚園や保育園で読んでもらったような絵本を5年生にでも与えた。目の前に本を読もうとしない子がいながら、自分の読書にふけっていては、それは教師ではない。



D国語の力を求めない

 よく、朝の読書をして国語の力が付いたと言われる。読書を続ければ言葉の力は確かに付いてくる。しかし、それは副次的なことであって、国語科の授業としてこの朝の読書を位置付けると、失敗してしまう。

 国語の力を付けるために、評価して、支援して、指導するのはこの朝の読書になじまない。「みんなで」「毎日」「好きな本を」「ただ読むだけ」それが朝の読書である。

(学事出版発行「授業づくりネットワーク」2002年12月号より転載)

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「朝の読書」は子どもを変える

平成8年度 米子市立啓成小学校3年生の実践例


<I子の場合>

  3年生のI子は、クラスで最も言語能力の発達がおくれていた。4月の初めは、文章を読むのに一文字一文字指で押さえながら読んでいたし、視写をする場合も同様で、言葉として文字をとらえることができなかった。

 音読も不十分で、何度も何度もオウム返しで読ませて、初めてなんとか文や文章として聞こえる音読になるぐらいの子だった。

 この子が、「朝の読書」の時間、本を読んでいた。家庭学習の習慣も身に付いてなく、学校の国語の時間にしか本を読むことがないこの子が、本を読んでいた。

 初めのころは、絵本が多かった。少し文字の多いものになると、すぐ他の本に替えることが多かった。

この子が、ミニ感想文を書いた。これも、図書の先生に教えてもらって初めてわかった。さっそく、図書室に行ってみた。次のような感想が書いてあった。

「大きなシャボン玉」

   わたしはりかの本およんでシボン玉のつくりかたややりかたをずいぶんはかてきました。(書いたまま)

 「を」と「お」、「は」と「わ」、拗音、促音などの表記上の問題はあるが、そんなことよりも、この子が自分の意志で本を読んでその感想を書いた事実が正に奇跡ではないかと思わせる。

 もし、国語の教科書に「シャボン玉」の説明文があり、読んだ感想をこの子に書かせようとしても、読みたくもない教科書の勉強からは、一行も感想を書こうという気持ちは生まれてこなかったと思う。それが、自分が選んだ本を自分の力で読んだからこそ、感想を書こうという気持ちになったのだろう。

 この子は、6年生になって手紙をくれた。「私は読書が大好きです。ずっと本を読んでいきたいです。」と、きれいな字で、表記も正しく書いてあった。


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<E男の場合>

  E男もまた、特に言語能力が低く、文章を書くのがとても苦手な子だった。早い子が10分ぐらいで書くことができる内容の文章が、45分かかっても書けなかった。

 この子の読書としての本を読む力がどの程度かは十分に把握していなかったが、音読の力や読解の力から判断して、この子の本を読む力はかなり低いという見方をしていた。

 この子が図書室から本を借りた数は、1学期が冊、2学期も冊。その子が、3学期の1月17日(金)、「朝の読書」の時間、時間が終わっても学級文庫から選んだ本を読むのをやめようとしないのだった。きりがつくところまで読ませてほしいと言うのだった。

 どんな本を読んでいるのか見てみた。びっくりした。何年か前の中学年の課題図書を読んでいたのだった。絵本ではない。字がいっぱい書いてある本を夢中で読んでいたのだった。それから毎日、その続きを夢中になって読み続けた。

 「朝の読書」をしていなければ、この子は教師から「学力が低い。」「本を読む力もかなり低い。」「だから、図書室から本を借りない。」という判断を下されて生きていくことになっていたのだろう。

  この子が国語の「モチモチの木」の授業で次のような初発の感想を書いて19番目に提出した。(この子が書いたそのままを示す。)

 ぼくは、豆太はかわいそうだと思いました。だって、豆太のおとうだって、くまと組みうちして頭をぶっさかれて死んだからです。

 それに、じさまがおなかをこわしたとき、じさまーと豆太がいいそうになったところがかわいそうだと思いました。

 でも、豆太は、モチモチの木に火がついたところはおどろいたと思います。それから、さいごに、豆太がゆうきをだしてじさまがたすけたのがすごいと思いました。

 この初発の感想、前時に音読を一時間し、本時の初めに復習の意味で10分間黙読した後に書かせたものである。だから、いつもやっている「朝の読書」の後に感想を書かせたようなことになった。

   いつもは、45分以上すわっていても2、3行しか書けず、途中でも34人中、33番目か34番目に出させていたこの子が、こういう感想を書き、しかも19番目だったというところに価値がある。「朝の読書」を通して、文章を読むということに慣れてきた成果ではなかったかと考えている。


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<S子とT子−田辺聖子氏の言葉をもとに>

 2001年10月30日の朝日新聞に、作家の田辺聖子氏が、「字まみれ」ということで、朝の読書にふれている。実は、その「字まみれ」と書いたのは、私が啓成小学校で教えた3年生の女の子だった。

 S子は、年度末に1年を振り返って次の様な文章を書いた。 

うれしかったことは、二つあります。一つ目は、先生がこの朝の十分間読書をすすめてくれたことです。二つ目は、いろいろな本が読めるようになったことです。この二つが、わたしをかえました。

 さいしょは、絵ばっかりの本を読んでいたわたしが、字まみれでおおってある本を読み出したんです。

 どんな本が心にのこっているかというと、「星になったチロ」という本と、「お母さんのじんぞうをあげる」という本です。元気をつけてくれるかわいそうなお話と、幸せに思わせてくれる本です。

 この二さつは、ぜったいわすれません。そのうちに、わたしは、図書室で本を一週間に四、五さつかりるようになりました。図書室でミニかんそうぶんというのもいっしょうけんめい書いています。


 一日のわたしはかわってきました。朝自習の時も、しーんとしていて、さわぐ人は一人もいません。そして、これは、一日のわたしを「びしっ!」ときめる元だと思います。

 田辺聖子氏は、次の様に述べている。(平成13年10月30日 朝日新聞)

 私たち一般の大人からみれば、十分間といえども、やんちゃな悪童連、お転婆どもがおちついて黙読なんかできるものであろうか、と思うが、やってみるとできるものなのだ。

 略語<朝読>の「交流会」のパンフには子供たちの声が寄せられている。「はじめは絵ばかりの本を読んでいたが、字まみれの本を読むようになった。(小三男子)」字まみれという表現は凄い。

 この子は字の洪水にたじろがなくなり、次いで親しみを持ってしまったのだ。

注:パンフにはこれを書いたのは「小三男子」となっているが、本当は「女子」が書いたもの。

 大人が「読書なんか・・・」と思わずにいられない3年生のギャングエイジの子供たち。運動が大好きなT子は、1年間を振り返って次の様に書いている。

 さいしょは本がきらいで、先生に、「朝自習は読書にします。」といわれて、「やだなあー。」と思っていました。

 でも、本が、おにごっこよりも、たかおによりも、タイヤとびよりもすきになりました。今、一番すきなことは、読書です。

3年生の活発な女の子に「どんな遊びよりも読書が好き。」と言わせてしまうところに、朝の読書のすごさがある。


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<U男の場合>

 U男は、一学期からよく本を借りて読んでいた。三学期のある日、「先生、この本、全部読んだよ。おもしろかった。」といって見せてくれたのが、「少年の海」(横山充男  作)という本だった。

 これは、二、三年前の高学年の課題図書だった。これを朝の読書だけで一週間ぐらいで読んだというのだ。「ぐらい」のところがよくわからないが、内容としては、12歳の少年が主人公で、3年生には少し難しいかなと思われる描写もある。それにしてもたいしたものである。

 私も読んでみた。感動してしまった。最近、児童文学を読んで、涙を流すことが多くなってしまったが、この本を読んで何度も涙があふれた。その子に、私の感想を言い、同じ本を読んだ仲間としての、なんともいえない心の交流があった。

 U男は、「図書室に読みたい本が山ほどある。」と言っていた。読書が好きな子は、どんどん読めばいい。U男はこんな日記を書いていた。

 今日は、家に帰ってから本を読みました。「ルドルフともだちひとりだち」を、50分で読みました。約、5日ぶんです。さいごにとても感動 しました。ほとんどが小さい字です。

 こんどは、ほかのを読みたいです。これでルドルフの本の全種類は読みました。ルドルフの作者は、「さいとうひろし」さんでした。

 「ルドルフとイッパイアッテナ」は人気がある。一人が読み、それが広がっていった。内容は、文字が書けて読めるネコが主人公で、そのネコと友達の友情がテーマになっている。

 以前の高学年の課題図書だったと思うが、一つ一つのエピソードがおもしろく、「少年の海」よりこちらの方が3年生が読んでもおもしろいのではないかと思う。

 U男が借りて読む前にこのクラスの他の子が借りていた。それによって、続きがあることを知り、U男が借りた。量としては、50分で小学生が読むような量ではなく、この子はかなり速いペースで読書をしていることになる。

 そして、学級文庫で見つけた本の続編を図書室で見つけてずっと読み続けた。それがいい。

※ 以上のことをもとにして、さざなみ国語教室 第248号 (2002年11月25日発行) (吉永幸司主催)の巻頭言を書いた。

 そのURLはhttp://www.biwa.ne.jp/~tottoko/kiji/kijiframe.htmlである。書くスペースが短く、うまくまとめられなかったが、少しでも朝の読書の良さが伝わればと願う。

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m(_ _)m 以上は、倉光信一郎 先生の記録です。


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